サクラとハルカのアトリエ
白井 寛英
この世のすべての作品には、物語が宿っている。
それは作者の人生とか、空想上の出来事とか、何らかのメッセージであることもあるし、その作者が描いたこと自体に生まれた価値そのものが、メッセージ性を持ったある種の物語であるとも言える。
すべての作品には、過程があり、作者がどう思っていようが、そこには必然的に物語が生まれてしまう。そしてその物語は、少なからず鑑賞者に伝わる。鑑賞者がそこで受け取るものは、作者の意図したことと違ったりするかもしれないし、すでに知っているような教訓だったりもするかもしれないが、ともあれ鑑賞者は何かしらを感じ取り、その発信源はその作品の作者に他ならない。
僕の絵にも、物語がある。これは、僕が経験した人生とか、その中で生まれた空想のお話だとか、そういうものを絵にしているのではなく、絵にしてみて初めて生まれた物語を、僕自身も感じとっているのだ。たとえば絵の世界では、ドリッピングのような偶然性を利用した手法があったりする。僕はそれを、絵を描くことで物語に起こしている。そもそも、未来の僕がどんな絵を描くのかは、今の僕からはまるで想像がつかなくて、その状態は常に続いているから、いつかその未来になったとしても、そこからさらに先の未来は分からない。つまり僕の絵は全て偶発的に起こされた物であり、そしてそれによって生まれた僕の物語も、全て偶発的に起こされた物なのだ。僕はこの先も生きている以上絵を描き続けるし、そこから物語は生まれ続ける。そうやって生み出された物語は、鑑賞者にきっと何かしらの影響を与える。それが、ポジティブなことなのかネガティブなことなのかはわからないし、僕にとってはどちらでもいい。大事なのは、僕が絵を描いていたという事実そのものであり、それがこの世界に影響を与え、直接的にでも間接的にでも、先の未来に生きる誰かの心に届き、その者の生き方を変えてしまうことなのだ。